一流の訓練士を目指すあなたへのメッセージ

日本で唯一の学校

日本訓練士養成学校は政府の監督下にある一般社団法人ジャパンケネルクラブ、公益社団法人日本警察犬協会、公益社団法人日本シェパード犬協会の公認訓練士制度の資格を取得し卒業できる日本唯一の学校です。

卒業生は訓練士世界大会への出場、優秀なドックトレーナーや警察庁の警察犬担当者として様々な分野で目覚しい活躍を見ています。

どこへ行ってもエリートと呼ばれるレベルに達している卒業生達です。

日本訓練士養成学校に入学すれば、あなたもズバ抜けた実力を備える本格的な訓練士、ドックトレーナーとして活躍することができるのです。

優れた人材を次々輩出できる理由

優れた人材を次々輩出できる理由

優れた卒業生達が育っていった事には理由があります。

それを可能にするのは創業60年の犬との歴史の積み重ねです。

オールドックセンターの先代である藤井多嘉士先生は釜山に生まれ犬と出会い、税関監視犬育成所において使役犬の訓練をする道と出会います。

そして、戦争に巻き込まれ、シベリアに抑留されながらも犬への思いを胸に生き残り戦後の復興期に念願の日本で一番最初の本格的な犬の訓練所を設立しました。

様々な困難を乗り越えて設立された藤井訓練所は日本の犬界を牽引する目覚ましい活躍をみせていくのです。

犬の訓練方法を日本で初めて開発し、数々の訓練日本一のタイトルを受賞していきます。

学校の歴史を詳しく知りたい方はこちらをクリックしてください。

犬とともに歩んだ六十五年

找が人生、犬とともにあり

釜山で過ごした幼少時代

私は内地に故郷を持っていない。

生まれたのは現在の韓国・釜山である。

私の父は広島県福山市の裕福な地主の家に生まれた。
秋になると田んぼを貸している小作人から、借地料として大量の米が持ち込まれたという。

父の兄弟は昔の事だから何人もいたが、そのうちの一人の兄が今の韓国に渡り、牧場を始める事になった。

父はその兄と一緒に釜山へと赴き、牧場で生産される牛乳を街中で販売する仕事に携わった。配達員として現地の人たちを数十人雇い、繁盛していた。

大正の中頃のことだった。

私が藤井家の長男として生まれたのは大正十二年である。幼い頃の記憶は曖昧だが、学校が休みになると郊外の牧場に泊まりに行き、牛や鶏を見ては楽しんでいた事はよく覚えている。

街中とは違い、広々とした牧場で遊ぶのが、私は好きだった。

そうした生活も一家で満州に移り住む事になって一変する。
しかしこの移住が私にとって、その後犬と歩む生涯のスタートといえるものだったのである。

犬との出会い

満州に移住したのは昭和八年である。

まだ治安が回復していない頃で、鴨線江を渡って安東駅からは警備兵が銃を持って乗り込んでいた。

なんでも匪賊に列車が襲撃される事があるという話だった。

新しい居住地は奉天(現在の瀋陽)だ。
移り住んですぐに父は、満鉄付属地の青葉町というところで酒類食料品の店を構えた。

小学校の高学年になっていたとはいえまだ子供だった私たちはすぐに ここでの生活にも慣れ、毎日元気に学校へ通っていた。

通学途中にはかっこうの遊び場もたくさんあり、よく道草をしては家路についたものだった。

そんなある日、帰り道にある空き家の床下から「キャンキャン」というか細い声が聞こえてきた。

覗くとそこには、まだあどけない顔をした子犬が二、三頭身を寄せ合って鳴いているではないか。

「ああ、可愛いな」と思ってしばらく覗き込んでいるうち、たまらなく 欲しくなった。

しかし、空き家とはいえよその家に忍び込むわけにもいけないし、人通りも 少ない。

気になりながらもこの時は諦めて家に帰った。

その日の夕食が終わったのは夜八時ごろだったろうか。

昼間見た子犬のことがどうしても気になり、家族には内緒でそっと家を 抜け出し、空き家へいってみた。

あたりは真っ暗である。

「おかしいな、確かこの辺りだったのに!」と思いながらうろうろと探し回ってみたが見つからない。

「やっぱりあの時、思い切って連れて帰ればよかった」と後悔し始めた時 どこからともなく子犬の鳴き声が聞こえてきたのである。

「あ、いた!」

その消え入りそうな声を頼りに進むと、昼間いた場所とは離れたところで ぽつんと一匹、鳴いていたのだ。

辺りを見回すと幸い誰もいない。

「しめた、今だ!」と仔犬を抱えると、私は上着のボタンを外して懐に入れ一目散で家に帰った。「しめしめ、誰にもみつからなかったぞ」と、その場を脱出したことに私はほっとしていた。

家に帰ってさっそく、空き箱に藁を敷きその中に仔犬を入れたが、父にはすぐに見つかったしまった。

それはそうだ。仔犬は心細さから鳴き続けていたのだから。

もちろん、父親からは大目玉を食らった。「なんだ犬など拾ってきて」 と怒鳴られた。

そこへ母親もやってきて「犬は便をして汚い。どうせ自分では面倒をみないくせに。」 母も犬を飼うことには大反対だった。

そんな両親の叱責を背に、私は「せっかく拾ってきたのに捨てられてはたまらない」と必死に仔犬を抱え、その場にうずくまっていた。
すると父の少し穏やかな声が聞こえてきた。「こいつはよっぽど犬が好きなのだろうこの間も七五三の時、写真館で張り子の犬を見つけ、欲しいと言ってきかなかった。仕方なくその張り子の犬と一緒に写真を撮ってもらったことがある。」

母にともなく、私に向けて話すでもなく、そんな風に呟いていた。

結局、父からは「飼ってよし」という許可の言葉は聞かれなかったが 私の頑なな態度に父も母もあきらめた様子だった。

翌日学校が終わると、私は一目散で家に飛んで帰った。「キャンキャン」 仔犬の鳴き声が家に入る前から聞こえてきた。

元気でいる姿を見て「ああ、捨てられなくてよかった」とほっと胸を なで下ろしたものだった。

それから数日後のことである。学校から帰ると母が飛んできて「多嘉史、大変だったんだよ」と言う。

何事か聞くと、繋いであった鎖が外れて犬が外へ飛び出してしまい、折悪く通りかかった犬獲りに捕まってしまったという。

まさに連れて行かれんばかりの時に帰宅した父は、その様子を見てこう言ってくれたそうだ。

「その犬はうちの息子が大事に飼っているのだから許してくれ」と頭を下げて頼み込み、なにがしかを包んで渡し、取り返してくれたのだった。

厳しい父だったが、この時の父の愛は今もしっかり心に刻まれている。

犬の専門家としてのスタート

私が中学生の頃、満州は歴史の転換期を迎え混乱の渦中にあった。

当時、遼陽には関東軍の軍犬養成所があり、周水子に満鉄(満州鉄道)

の警戒犬訓練所、奉天に満鉄警備犬育成所、北満の数か所に満鉄の警備犬訓練所撫順に炭鉱警備犬訓練所、新京に満州軍用犬協会の本部養成所があり、各地には支部訓練所があったが密輸入が横行するという不安定な世情を受けて税関監視犬を大々的に増やそうという構想が持ち上がった。

その要請により設立されたのが、満州国財政部税関監視犬育成所だった。

当時奉天の北陵(大宗文皇帝の墓)にあった張学良(満州の軍閥)の別邸跡に育成所は建てられた。

その敷地はなんと、三万三千坪にも及ぶ広大なものであった。

昭和十二年、満州国政府の官報に「犬の技術者求む」の公募が載った。

新しく設立した税関監視犬育成所での犬の訓練者を求むものだったが、通例と違っていたのは、すでに犬訓練の技術を持つ年配者ではなく、犬好きの少年を集めて専門家を育成することを目的とした公募であったことである。

私はすぐに飛びついた。

「犬好き」「少年」どちらも募集要綱に合致するではないか、と。

しかし、父は反対した。

「これからは学問を身につけるのが何よりだ。犬屋になんかなるんじゃない!」と。
もちろん私は反論した。「犬屋ではない。税関官史だ」。

官史は今で言うところの公務員である。しかもこの時代の公務員は権力を持つことのできる立場にあった。

父の言うこれからは学問が必要だということにも一理あるとは思いつつ私は「官史」を盾に、なんとか自分の好きな道に進みたいと考えていた。

ついtには父も折れてくれた。

「勝手にしろ」ということになり、私は晴れて満州国税関監視犬育成所に入所することになったのである。

監視犬育成所での日々

張学良の別邸跡に設立された監視犬育成所は、私の想像を超える広さだった。

敷地内には成犬犬舎、育成犬舎、分娩犬舎、事務所、医務(獣医)室、犬の炊事場、それに広い訓練所の他、山羊小屋、豚小屋、さらに密輸の取締りに必要だとして ピストルの射撃場までがあった。

監視犬育成所の運営に当たったのは、遼陽にあった関東軍軍犬育成所で辣腕を振るってきた、いわばその道の「猛者」たちである。

財務部の税務司長だった所長を頂点に、軍犬育成所で所長を努めていた貴志少佐満州事変が勃発した現場にいたという河本大尉が主任を務め、その下に総務股(股とは中国語で「係」という意味)訓練股、育成股、蓄殖股、衛生股の五部門で構成されていた。

私が入所当初就いたのは蓄殖股だった。

種犬が発情すると管理して交配し、妊娠犬の管理、分娩に付き添い、生まれた仔犬が三ヶ月になるまで飼育するというのが仕事だ。

この期間が過ぎると仔犬は育成股へ引き渡される事になる。

蓄殖犬舎のエリアには、一坪大の室内と約三坪の付属運動場がひとつの括りでこれが十三犬舎並んでいた。

担当している犬が分娩する時は、この犬舎に簡易ベットを持ち込んで寝泊りし、助産婦の役を務めた。

難産の時はただちに獣医師に連絡して指示を仰いだりもした。

はっきりした数は失念したが、おそらく数十胎の分娩に立ち会ったと思う。

生まれてきた仔犬と過ごす時間は楽しかった。

空き家で見つけた仔犬を拾った時のことが彷彿とされ、その幼げな姿に心癒されもした。しかし私の視線は常に、蓄殖犬舎の先にある約四千坪もの広さのある訓練所に向けられていた。

「早く、一人前の訓練士になりたい!」。

私は毎日、訓練股の人たちが訓練する様子を見ながら、訓練のやり方を脳裏に焼き付けていった。

当然のことながら、一足飛びに訓練股をやらせてもらえるわけもない。

育成股などを経験し、念願叶って訓練股に回されたのは確か、入所して三年は経っていたろうか。
私が訓練股で師事したのは南喜十郎氏であった。

氏は税関の看板犬「セラー」を担当し訓練しておられた人物。看板犬を訓練しただけあって、氏の指導は後の私にとって大きな財産となるものだった。

その後、南氏が図們税関へ犬舎長として転勤される事になったのを期に、看板犬セラーと、その子のセラー二世を私が担当する事になった。責任重大である。

訓練の成果を試される大会はほどなくして行われた。

全満洲の第二回軍用犬訓練競技会がその晴れの舞台だった。私はセラー第二世を連れて出場した。

結果は二位に終わってしまったのだが、衆目の一致するところでは、この時に一位になった犬は襲撃も弱く、動作も活気なく、審査は納得できないものだった。

しかしどんな世界にも灰色部分を容認しなければならない場面はあるものだ。まだ若かった私にはそれがはがゆく、なんともすっきりしない結果ではあった。

私はこの監視犬育成所で七年を過ごした。

これからは英語が必要な時代が来ると英語教育も受けていたが、その間にも世情は深刻になる一方だった。

密輸品が枯渇するようになり、監視犬の需要は極端に減り、代わって国境を警備する警察犬、麻薬の取り締まりにあたる捜査犬、塩や煙草の倉庫を警備する警備犬の需要が高まってきた。

私はそれらの役割を果たす犬の訓練や取扱者の教育助手を務めるようになったが監視犬育成所に同期で入所した十七名は、厳しい上司がいたこともあり、景気の良い軍需産業へと一人移り、二人移りしていき、とうとう最後まで残ったのは私一人となってしまったのである。

我が「終戦」は昭和二十四年

昭和十八年、私は二十二歳で飛行兵として入営。

航空通信連隊に配属された。経歴からてっきり歩兵の軍犬班に配属されるものとばかり思っていたので、この配属には驚いた。

それほど戦局は敗戦濃厚だったのである。

昭和二十年八月九日、ソ連軍が満州国に侵入。 私たちは無線機を持って、吉林から撫順に向かう途中の新しく建設された飛行場に行って通信所を開設すべく命令を受けていた。

だが、吉林の近くで列車はストップ。終戦はこの時、無線機で聞いたのだった。部隊は解散し、私は奉天の親元に帰った。

家族は全員無事だったが、日本人は敗戦国民としてすべての特権を失い、みじめな境遇となった。

帰還して一週間ほど経った頃、兵役のあるものは登録せよという通信があった。

「通行証が与えられるそうだ」という噂が流れ、兵役のあるものはこぞって登録を行った。

しかしそれは通行証発行のための手続などではなかった。

八路軍(中国共産軍)によってそのまま捕虜収容所へと連行され、再び部隊が編成されて中央シベリアへと送られたのである。

シベリア抑留は四年に及んだ。

労働はきつく、ひもじい思いもした。

筆舌には尽くしがたい辛苦も体験したが、この四年間で妙な自信が湧いてきた。「何をしたって食っていける」。

そんな思いを強くしていた。

収容所時代は偶然にも、満州軍用犬協会の山田秀雄訓練士(帰国後JKC理事)と一緒だった。

厳しい環境の中、時に犬の話で盛り上がることもあり、心の慰めになったものである。

この時は、山田訓練士が義理の父になろうなどとは思いもよらぬことであったが・・・。

日本へ帰ったのは、昭和二十四年夏のことだった。

上京を促してくれた先輩の大恩

私は母の郷里である岡山県の井原市に落ち着いた。

すでに帰郷していた父母、二人の姉と弟(邦蔵)も一緒だった。

しばらくは妹の嫁ぎ先のよろず屋(雑貨商)を手伝っていたが、犬に関る仕事に就きたいという思いは募るばかりだった。

何とかいい就職口はないものか。

そんな折、弟の邦蔵が一枚の新聞を持ってやってきた。

そこには「犬訓練士募集。訓練士学校を開校計画中。一人前の訓練士高級採用」と書かれた広告が掲載されていた。

私はさっそく、その協会がある倉敷市に赴き、採用されることとなったのだが、日を追うごとに、その協会がいかにもいかがわしいところであることが見えてきたのである。「こんなところにいるわけにはいかん!」と、逃げ出す算段を考える毎日だった。

ちょうど犬の雑誌を見ていたら、満州時代にお世話になった一瀬欽哉氏の名前が載っていた。

「そうだ、この人に相談してみよう。」

早速一瀬先生に電話をかけたところ、先生はびっくりしながらも「仕事をするなら東京に限るから、上京しなさい」と、東京へ呼んでくれたのである。

まさに着の身着のままという表現がぴったりだったろう。

私は懐中に全財産の五千円を忍ばせ、引揚時の姿で上京した。

昭和二十五年の夏のことだった。

赤羽に訓練所を開く

一瀬先生のところには約一年お世話になった。

まだまだ戦後の混乱期がつづく中、私は犬の訓練に没頭できる環境を与えられ、さまざまなことを学ぶことができた。

この恩義は一生忘れるものではない。

その大きな「宝」を先生からいただき、現在の自宅のある赤羽に訓練所を開設したのは昭和二十七年のことだった。

このときはすでに広島から弟の邦蔵も上京し、訓練所の立ち上げに協力してくれた。

そしてもう一つ、大きなことがあった年である。

結婚である。

シベリアで犬の話をしながら心癒したあの山田秀雄訓練士の娘・玲子との結婚であった。

PD(日本警察犬協会)で英文タイピストをしていた玲子と知りあい、それがあの山田訓練士の娘であることを知り、浅からぬ縁を感じたのはおそらく玲子も同じであったろう。

さて、赤羽の訓練所はそういうわけで我ら夫婦の新居でもあった。

当時は五十坪たらずの手狭なものだった。

犬を遊ばせるにも近隣への気遣いは大変だったものだ。

しかし私は、どうしても赤羽に訓練所を開きたかった。

なぜなら、警察犬の日本訓練チャンピオン競技会の会場が荒川の河川敷で行われていたからである。

チャンピオンを狙うには、会場の近くにいるほうが絶対に有利である。

犬にとっても訓練士にとっても、馴染みのある場所は落ち着くし、出場にも手間取らない。

私はなんとしても、日本一の訓練チャンピオンの栄冠を獲得したかったのだ。

落ち着いた新婚生活などないに等しかった。

朝は五時に起き、全犬の排便の世話をして犬舎の掃除、それが終わると自転車で犬を、二、三頭同時に引き連れて荒川堤防へ行き、全犬運動訓練をすませ、訓練所へ戻って犬に朝食を与える。

それが終わってようやく自分たちの朝食というのが日課だった。

九時過ぎになると今度は、自転車で出張訓練へと出かける。

練馬、中野、世田谷、上野、時には千住のほうまで愛犬家宅を廻った。

コッペパンをかじりながら公園で水を飲むというのが私の昼食だ。

そして、赤羽に帰り着く頃はすでに暗い。

一日中自転車であちらこちらを廻るものだから股にはタコができたが、痛いなどといっている暇はない。

犬舎にいる犬に食事を与え、それが終わって自分たちの夕食は八時。

さらに最後に犬の排便の世話をして終わると、すでに時計の針は十時を指している。

そのまま疲れ果てて寝るという毎日だった。

こうした毎日に実りの時が訪れたのは昭和二十九年。

警察犬の日本訓練チャンピオンを「アルマン・フォン・トシマタダ」で獲得したのである。

夢は叶った。

私は充足感で満たされた。

さらに、翌年、翌々年と同競技会で、三年連続してチャンピオンを勝ち取ることもできた。

「快挙」の声も聞かれた。

その後、アルマンの子「インゴ・フォン・フッサ・ベーカリー」もチャンピオンを獲得し、弟子たちもさまざまな競技会で活躍してくれた。

訓練士学校の開設

その間にも日本は、戦後の復興を見事遂げていた。

赤羽界隈も住宅が密集するようになっていた。

五十坪足らずの訓練所ではだんだん手狭になってきたということもあるが、東京二十三区内では多数頭の犬の飼育は困難になりつつあった。

訓練所の移転は急務だった。

私としてはかつての税関監視犬育成所のような広大な訓練所が夢だったが、土地は年々騰る一方。

それでも少しでも広い場所はないものかと探し、見つけたのが現在地である。

埼玉県の入間郡大井村に千坪の訓練所用地を求めた。

そのさいは、土地を担保に銀行から融資を受け、私を信用してくださる愛犬家の方が保証人になってくださった。

快く保証人を引き受けてくださる方がいなければ、私の現在はなかったかもしれない。

もう故人となられたが、この時に受けた恩は一生つづくものと思っている。

新たな訓練所を開設したのは昭和三十九年。

翌年には株式会社を設立し、㈱オールドックセンターとした。

広い訓練所に移り、犬たちも喜んでいたであろう。

もちろん私も妻の玲子も、そして子どもたちも広々とした環境で、犬との触れ合いを楽しんでいた。

その後、各方面から「訓練士の学校を設立してはどうか」という話が寄せられるようになった。

実は私自身、チャンピオン犬を出した頃に週刊誌のインタビューに答えて「いずれは、犬の訓練士学校をやりたい。いつまでも徒弟制度に頼っていてはいけない。」と話している。

その思いが消えていたわけではなかったが、できるならば公な機関に働きかけて実現したいと念願していた。

ところがこれがなかなかうまくいかない。

かつては警察犬も軍用犬も、国家の方針としてやっていたではないかという思いが胸の中に渦巻いていたが、「これも時代の流れというものなのかもしれない。それならば・・・」と、各方面からの助言もあって清水の舞台から飛び降りたというわけである。

折しも、自称訓練士の殺人犯が出て世間を騒がせていた。

愛犬家に迷惑をかける同業者もいた。

このような状態をいつまでもつづけていいわけがない。

私は、使命感のようなものに駆られてもいたのだと思う。

そして昭和五十四年、私設の「日本訓練士養成学校」がスタートしたのである。

日本訓練士養成学校は、おかげさまで創立二十五周年を迎える。

これまでに巣立っていった生徒達は四百人に及ぶ。

訓練士団体設立へ向けて

㈱オールドックセンターの設立を計画した頃から私は、訓練士のための団体の大同団結を考えるようになった。

戦後いくつかの訓練士会が結成されたが、どれも長続きはしなかった。

各地で訓練士会は結成されていたが、いかんせん、横のつながりがない。

そのため、親睦的な団体、技術向上に重点をおく団体、休眠状態の団体など、バラバラの状態であった。

これをなんとかまとめ、全国的なレベルで技術の向上を図り、より信頼性の高い指導団体にしていきたいと試行錯誤するようになったのである。

社会の治安に大きく役立つ警察犬の重要性はいささかも衰えていない。

家庭で飼われる犬も増え、事故が起きないようなしつけの重要性もいわれ始めていた。

時代は訓練士の充実を要請している。

私はそう感じた。

私が最初につくったのは東京使役犬訓練研究会という若手の訓練士を集めた会であった。

この会はその後、発展解散して東京城北訓練士会となった。

日本警察犬協会の一等訓練士会も私が運動し結成し、今年で四十五周年を迎えている。

さらに、有志と協力して関東地区の訓練士グループを結集して、東日本訓練士団体連合会を組織した。

この連合会は現在もつづき、今年で三十七周年を迎えることとなった。

現在全国十五団体が加盟し、年四回の会報誌「訓連」を発行して、訓練士のレベルアップに努めている。

会報誌「訓連」は今年で九十二号と発行を重ねることとなった。

「東日本」の名称は「日本」に改めた。

また、時代に即応する家庭犬のしつけ研究会を全国より集めて二回開催した。

東京都動物保護管理協会の設立

日本獣医師会会長の杉山文男先生は東京都獣医師会会長のときに、各動物関係団体に働きかけて、昭和五十三年、東京都動物保護管理協会を設立された。

この協会の設立は、家庭犬が増えている中でもなお、「しつけ」と「訓練」が乖離していた時代に、両者を結びつけて大きく前進させるきっかけとなるものであった。

「これからは使役犬としての犬の役割のほか、家庭で家族の一員として暮らす犬たちすべてを愛護する」時代を予感させるものだったのである。

私が理事をしていたJKCにもお声がかかり、参加協力させていただいた。

訓練士団体としてももちろん参加した。

私は協会の常任理事として推され、会合や行事にも積極的に顔出しするようになった。

年に一度の「動物フェスティバル」では総合司会を務めさせていただくようになった。

杉山先生からの要請で始まったこうした活動が、犬の訓練士という職業を、新しい未来に向けて一歩踏み出させるきっかけとなったことに異論を唱えるものはいないだろう。

聴導犬の研究開発へ

今から二十年ほど前、日本小動物獣医師会より「アメリカに聴導犬というのがあるが、ぜひ日本でも普及したいので、研究開発してモデル犬をつくってくれないか。ついては訓練士諸氏のご協力を仰ぎたい」と依頼があった。

目の不自由な方のパートナーとなる盲導犬というのはすでに日本でも導入されていたが、聴導犬というのはどんなことをする犬なのか、お話をいただいたときはまったく知らなかった。

それでも担当の獣医師を案内して、東京近辺の訓練士の例会に説明、お願いに歩いたが、案の定、一年経っても取り組んでみようという人はあらわれない。

聴導犬とは、耳の不自由な方の耳の役割をしてくれる犬のことだ。

目覚まし時計や電話の音、ドアのノックの音、チャイムの音、火災報知機や防犯ブザーなど、必要のある音、危険だと思われる音、さらに赤ちゃんの泣き声などを主人に知らせる事を役目とし、睡眠中でも主人を起こし、音のするほうへと誘導することができなければならない。

聴導犬をつくりあげるのは社会福祉の面からもとても有意義なことである。

しかし、行政や団体からの協力無しにはつづけにくい。

負担は訓練士にかかってくることもあり、手を上げる人のいないことは容易に想像がついた。

しかも、見たこともなく、聞くのもはじめての聴導犬である。

「誰も取り組む人がない以上私がやるしかないではないか」。

そんな思いから聴導犬の研究開発に取り組んだのは昭和五十八年のことだった。

預かり犬や訓練犬が百数十頭もいたからこそできたものだと思っている。

城北訓練士会の前田勇、吉田欽次郎両氏に協力していただき、アメリカから送られた写真数枚と訓練方法の説明書を開き、長年の経験に合わせ、暗中模索、試行錯誤を繰り返しながら聴導犬の訓練に取り組んだ。

翌年研究開発に成功、続いて実用化に取り組み現在までのところ、ようやく十七頭を、日本小動物獣医師会の認定を受けて視聴覚障害者のもとにお渡しする事ができた。

しかし、聴導犬を必要としている方は多くいらっしゃるに違いない。

私たち訓練士の取り組みはまだまだつづくものと思っている。

平成十二年に日本小動物獣医師会より発展的に聴導犬普及協会は独立した。

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そんな中、産まれたのが現代表であり教頭である藤井聡先生です。

母親の胎教から犬の声を聞いて犬と共に育ち、誰よりも犬の事を知り尽くす環境の中で育ってきました。

まさに犬を育てる為に生まれたサラブレッドのような存在だ言えます。

そして、父親の多嘉史(たかし)先生の教育とそれを受けて力をつけていく生徒たちをずっと見守りながら成長してきたのです。

その為、人財育成のプロフェッショナルでもあります。

どうすれば生徒が最短でしっかりとした実力を身に着けられるのか、知り尽くしているために優秀な卒業生が当然の様に育っていくのです。

なぜオールドッグセンターならどこへ行っても活躍できる本物の実力が身につけられるのか

なぜオールドッグセンターならどこへ行っても活躍できる本物の実力が身につけられるのか

初めまして、オールドックセンター代表の藤井聡と申します。

私は物心つく頃から犬と共に成長し犬のすべてを見てきました。

その中で犬と人間がどう関わっていくのか、どうすれば真実の信頼関係が築けるのか理解しました。

近年、沢山の犬たちが私たちと生活を供にし活動を供にしていく中で、様々な問題が発生しているのを見てきました。

飼い主が手に負えなくなり、保健所に連れていかれてしまう犬もいます。

家具を傷つけたり、散歩をしていると他の犬に異常に攻撃性をみせて吠えたり飛びかかるといった問題行動を起こす犬もいます。

これらはすべて犬に対する誤った認識が起こしてしまっている悲劇です。

しかし、飼い主さんが正しい知識正しい訓練を受けた人間から情報を得ることで防げます。

これからも犬の事を本当に理解し犬に最も適した形で教育をし、飼い主さんを導いてあげられる訓練士、ドックトレーナーがもっともっと必要です。

今は犬の数に対して、訓練士やドックトレーナーの数が足りません。

私の犬との人生で培ってきたすべてを伝える為に、本気で犬が好きで犬と仕事を供にし、人生を作っていきたい生徒さんを待っています。

藤井聡実績

一般社団法人ジャパンケネルクラブ(JKC)

  • 公認訓練範士
  • 公認訓練士試験委員
  • A級訓練試験委員
  • IPO(国際居訓練試験)審査員
  • BH(同伴犬訓練試験)審査員
  • フライボール競技審査員
  • FCIオビディエンス競技審査員
  • 埼玉ブロック訓練士協議会会長

公益社団法人日本警察犬協会(PD)

  • 公認1等訓練士正
  • 繁殖管理HD部副部長

公益社団法人日本シェパード犬登録協会(JSV)

  • 公認訓練師範

警視庁嘱託

  • 刑事部鑑識課における警察犬選定、飼育業務指導
  • 警備部警備第二課における警備犬訓練業務指導

埼玉県警察本部嘱託

  • 嘱託警察犬指導手

環境省

  • 元動物適正飼養講習会講師

社団法人東京都家庭動物愛護協会

  • 常任理事

NPO法人聴導犬普及協会

  • 副理事長

1992、93、96、97、98、2000年度WUSV(ドイツシェハード犬世界連盟)主催訓練世界選手権大会に日本代表選手として出場。98年度はPD本部より、日本代表チームのキァブテンを任命され、個人では第8位に入賞。団体では第3位に入賞の成績を残す。1994、95年どのFCI(国際畜犬連盟)主催訓練世界選手権大会に日本代表者として出場。日頃は訓練士の要請に従事しながら、国内外の様々な訓練競技会に数多く出場している競技者であり,環境省並びに各都道府県、動物愛護団体、各獣医師会の依頼により、オペラント訓練競法を用いた家庭犬のしつけや問題行動の矯正に深くかかわり、しつけ啓蒙活動の講師として日本全国で活躍中。

著書

上記以外にも様々な本の監修もあります

TV出演

  • NHK 教育テレビ  『趣味悠々』犬は大事なパートナーに講師として出演
  • NHK 総合テレビ  『難問解決ご近所の低力』に度々出演
  • TBSテレビ      どうぶつ奇想天外 カリスマ訓練士問題犬の矯正で度々出演
  • BS          ニュース少年探偵団に出演
  • など、犬に関る数々のTV番組出演及びTVドラマに犬を出演させております。

さて、最近この様な声を耳にします

一人前の訓練士になる為に・・・

どんな学校や講師からどんな技術や知識を学べばいいのか分からない!?

これから犬に関わり、犬と仕事をしたいと思っている人にとって現在はあまりにも多くの情報が出回っています。

一体どこへ行って何を学べば犬と供に仕事が出来る将来が描けるのか迷われている方が多くいます。

次々に出てくる新しくて変わった資格を取るのも興味深いですがすべてはあくまでも、しっかりとした基礎の上に成り立って初めて光るものです。

その為、まずは基本的な知識と技術を学ぶことは必須です。

そして、これまでしっかりとした技術が身につかず実績を出せなかったあなたは情報が氾濫する現在の状況でたまたま間違った方法を選んでしまっただけです。

あなたは何も悪くありません。

利益を追求するあまり、本質ではない事を教えている学校や講師が多いのが現状です。

卒業後の収入は大丈夫なのだろうか

残念ながら訓練士やドックトレーナーの仕事では簡単に高収入を得ることは出来ません。

どんな学校で学び誰にどの様なスキルや技術を学ぶかによって少し大げさですが、あなたの今後の犬の仕事での運命が変化します。

どこで学んでも卒業するまでに圧倒的な基礎を身につけられなければ、今しかない大事なあなたの時間を無駄にしてしまうのです。

しかし、日本訓練士養成学校で学ぶことにより楽しいだけの学生生活を送り、なんとなく時間を消費した人たちとは恐ろしいほどの力の差がついています。

厳しい社会に出る為の基礎や人の役に立てる事の喜びを感じることが出来る人生の経験値がダントツに上がりあなたは生き抜く力を身につけ魅力的な人物に成長している事を実感するでしょう。

時間はどの位かかるのだろうか

一般的な犬の訓練所では、まず見習いとして入ります。
そこは完全な徒弟制度であり、住み込みで犬と寝起きを共にします。

朝から晩まで365日修行をし5~6年で卒業をするのが一般的です。

そこから訓練士やトレーナーとして独立をしたりまた訓練所に勤務をすることになります。

通信教育で学べる学校や週に一回の通学で学べる学校などもありますが、この仕事をその様な形で教える事はとても難しく、結果として中途半端な実力しか身につかない状態になりかねません。

例えば、進学塾に例えてみます。

有名大学に合格しようとして多くの学生たちは進学塾で学びますが、東大に受かりたいのに週一回の学校にいくでしょうか?

厳しい環境に身を置き、毎日必死に目標に向かい努力する周りの仲間たちに影響を受けながら努力する生徒だけが目的を達成していきます。

日本訓練士養成学校での訓練や学習は厳しいものですが、乗り越えた後の未来は素晴らしいものです。

そして一般的な訓練が約6年間かけて行うところを2年という最短の期間で他の訓練所には出来ないレベルの知識と技術を得られます。

犬の業界の今後は大丈夫なのだろうか?

ペット(犬)の数の推移

この様に犬の飼育数は伸びており、日本人の生活様式が極端に変わらない限り激しく減少することは考えずらいです。

しかも、さらに多様な犬との生活環境の変化が起こり続けている為、なおさら多くの正しい知識を伝えられる人材が必要です。

誤った知識にすべてをささげてしまうと…

卒業して実戦に移ってもしっかりとした基礎や技術がないのでお客様に感動をあたえられない。技術が特殊すぎてそもそもお客様を見つけることが出来ない。

結局、犬の仕事で食べていけなくなり収入を得られる別の仕事をせざるを得なくなり、本来の目的であったはずの犬の仕事を諦め他の仕事へと移っていくことになるかもしれません。

一流の訓練士、ドックトレーナーとして認めてもらう為の資格も取得できないかもしれません。

当校以外の学校は、ゆとりのあるカリキュラムで、楽しい生活かもしれません。
しかし卒業して、社会に出たときにたくさんの苦労を乗り越える必要があるのです。

日本訓練士養成学校はハッキリ言って厳しい学校です。そして卒業してからもたくさんの努力が必要になります。

しかし、あなたが犬の仕事で食べて行く為の基礎の全てを伝えることが出来ます。

あなたが本当に心から犬と関わる仕事がしたいと思っているならここで学ぶ事すべてが、卒業後のあなたの未来に必ず役立つと断言できます。

どのような業界でも同じ事が言えますが仕事で優秀な成績を出し、大きな収入を得て生き生きとした生活をしている人の多くは必ずそこまで通ってきた道のどこかでそれ相応の時間と努力を費やしています。

人生で何かをつかむには、どうしても集中して取り組まなければならないタイミングがあるのです。

むしろ今、これを読んでいるあなたはチャンスです!!

なぜなら、日本訓練士養成学校で学べば必ず変われる未来が約束されているのですから。

そして忘れてはならないのはあなたが訓練を終えて独立した場合あなたにお金を払ってくれるのは犬ではなく犬の飼い主さんです。

どんなに訓練が上手くてもそれだけでは一流の訓練士とは言えないのです。なぜなら、犬の飼い主さんに認められる存在にならなければならないからです。それには、一流の訓練士と言われる人格も兼ね備える必要があります。

飼い主さんにきちんと理路整然と犬の事や訓練の事を説明し信頼を勝ち取って「ウチの犬のしつけの先生」と思ってもらわなければならないのです。

このことを卒業してから一人で一から学ぶのはあまりにも大変で時間もかかってしまいます。

せっかく独立しても何ひとつ仕事が受注できない人はこのためです。

では、どうすればいいのでしょうか。

大きな成果を出す為には本物が集まる環境に身を置きつねに学ぶことが近道です。

1、カリスマ訓練士になる為への最速の道

昭和27年より続き数々の成績を出しながら培われ磨きこまれた犬の訓練テクニックを「すべて」お伝えします。

これまで様々なタイトルを数多く獲得し実績を積み上げ、沢山の生徒をエリート訓練士としてまたはドックトレーナーとして送り出してきたノウハウをそのままあなたに伝授します。

あなたもカリスマ訓練士と呼ばれる人物になる事も充分に可能です。

2、感覚レベルでの犬への理解を手に入れる

最短で資格と技術を習得できると言ったうたい文句をよく聞きますが、残念ながらそんな簡単なものではありません。

犬は生き物です。

それぞれの性格を細部にわたって理解するには付け焼刃の知識ではまったく応用が利きません。

本当に犬をの理解するには誰よりも犬のことを知り尽くした講師から犬に対する本物の知識を吸収し続け毎日実際にその知識を持って、犬とどれだけ接し続けている時間を持てるかが非常に大事です。

犬の性質、本質自体は100年前でも100年後でも不変です。

犬という動物の性質を知り尽くすことが必要です。

単なる知識ではなく、感覚レベルで犬の性質の事教育方法の事を訓練士が覚えていく事だけが本物の実力を育みます。

日本訓練士養成学校では生徒ひとりひとりの為に無償で教材犬2頭を用意しています。

このなんの教育もされていないまっさらな状態の2頭と常に一緒に学習し成長していってもらいます。

そして成長した自分と成長した教材犬をパートナーとして資格取得のための試験に臨みクリアしていきます。

学習しながら資格をどんどん取り、実績を積み重ねる事が出来ます。

卒業する頃には訓練士、ドックトレーナーとして活躍するには申し分ない状態になっていることでしょう。

3、飼い主様の信頼を勝ち取り一人前の訓練士、ドッグトレーナーになれる

日本訓練士養成学校では、講師と一緒にセミナーや、大規模な会場での講演を行います。

もちろん幕張メッセのような会場で大人数の聴衆を前に初めから自由に講演や実演を行うことなどできません。

しかし、どんな生徒さんでもセミナーや講演の回数を重ねていくうちに自然に出来るようになっていきます。

この様な経験が今後の為の人脈や地盤を作るとともに、講師としての魅力を高めていきます。

日本訓練士養成学校では中途半端な指導はしません。

すべてが実戦です。

多くの人と同じ事をしていては光ることはできません。

実戦を常にこなし続けることこそが最強の人間力学習方法なのです。

学習の流れ

学習の流れ

一年目

2年目

(↑どんな事がオールドックセンターで行われているのか簡単な流れを説明しています。)

オールドックセンターで得られるメリット

どんな犬でもいい子にすることが出来る名訓練士の魔法のレッスン

このレッスンをマスターするとあなたも様々な飼い犬のトラブル行動で頭が悩ましている飼い主さんの悩みをまるで魔法を使ったかの様に解決し飼い主さんからの信頼を集めることが出来ます。

環境の変化によりますます多様化する犬の訓練、しつけに対応できるすべてのベースとなる訓練方法

⇒日本訓練士養成学校は犬のしつけ訓練のベースが1から構築できる為に全犬種に対応が可能になります。

この業界に進む事をご両親や家族の方が心配しているのではないかと悩んでいる方もいらっしゃると思いますが日本訓練士養成学校なら安心な理由

⇒卒業生のご両親の声をぜひご家族に聞いていただいてください。
今までの考えが180度変わる事でしょう。

なぜ毎週のように自分でも驚くほどの実力が身についたと実感できるようになるのか

⇒オールドックセンターで教わるノウハウに忠実に従って毎日の犬との接し方を意識するだけで、あなたは確実に発見を繰り返すことになります。そして犬は言葉をしゃべれませんが、そのとき出しているサインを確実に読み取ることが出来る為次々に犬の気持ちを理解できるようになります。

犬の仕事でも人脈があるのとないのでは、独立して成功するスピードが全く違います。

⇒今、あなたに人脈がなくても大丈夫です。ここでは、どうすれば人脈が作れるのかそしてダイレクトに人脈を得るチャンスがあります。
そのため、あなたは卒業後スムーズにビジネスとして犬の仕事をスタートできる環境の基盤を手に入れられるでしょう。

私が多くの優秀に育っていった生徒達を見続け気がついた成長する為に大事なポイントとは

⇒ほとんどの訓練士、ドックトレーナーを目指す生徒達の多くが飛びぬけて成長する為に重要なポイントを見逃しています。
この事を知るだけでもあなたはトップクラスの人材しか気づいていない本当に必要な事を理解できるでしょう。

飼い主さんとスムーズに良い関係を築き、驚くほど信用を得る方法

⇒日頃から様々な場所で行われる家庭犬のしつけ教室やセミナーで私の実演を見ながら飼い主さんとのコミュニケーションや質疑応答を聞き、飼い主さんの生の反応を見続ける事によって自然とスムーズな信頼関係の作り方が頭に入ります。
どんな学校で学ぶよりも密度が濃く実戦的な体験が出来る為飼い主さんと正しいコミュニケーションがあなたにも簡単にできるようになります。

飼い主さんの飼い犬への悩みが手に取るように分かりどんな問題が起こっているのかひと目で見抜ける力が手に入る

⇒あなたは直接、私の様々な問題犬との接し方、訓練の仕方を見ながら飼い主さんへの問題解決方法やしつけ方を聞き続ける事が出来ます。
その結果、あなた自身も沢山のケースを実際に体験する事が出来て飼い主さんの悩みを知り、犬の問題行動が何が原因で起こっているのか手に取るように理解する事が出来るようになっていきます。
卒業して自身で営業する時に、この体験が信じられない程の強力な知識に間違いなく変わっている事でしょう。

犬に惚れるのではなく犬に惚れさせる訓練士になる秘訣

⇒犬は完全に縦型の社会で生きている生き物です。
その習性は例え小型の家庭犬であったとしてもしっかりと受け継がれています。
この習性を教材犬を通し細部に渡りしっかりと学べ、基礎が身についた状態で、直接小型犬から大型犬まで様々な種類の犬の習性も学ぶ為理解のスピードが早く、どんな犬にも認められる惚れられる方法を最短で身につけられます。

犬は元々は狼です。その狼が何故犬になったのか

⇒犬の起源にまつわるルーツを知ることにより、本来の本能を知る事によって本当の意味であなたは犬達を理解する事が出来ます。
世界の学会発表で証明された覆しようの無い事実をあなたに伝えます。

ほとんどの日本人が持っている誤った認識の数々を学ぶ

⇒代表的なものとして、犬を飼うと必ず毎日散歩に行かなければならないという誤った思い込みです。
なぜ、この様な誤解が生まれているのか。それは犬の性質を理解していないからです。これらの知識を身につけた後で飼い主さんへレクチャーすると間違いなく飼い主さんは驚愕しあなたに一目置くようになるでしょう。
また、多くの飼い主さんが持つ誤解、悩みを知ることが出来ます。

躾と訓練の使い分けを把握し結果が出る訓練を行える

⇒躾とは身を美しくと書きます。欧米にはこの言葉に変わる言葉はありません。
トレーニングという言葉はありますがトレーニングは訓練です。躾とは違います。
家に例えるならば躾とは家の基礎です。そして訓練とは建物です。
基礎がしっかりしていなければ、いくら訓練をしてもグラグラの不安定な何年も住めないような建物が建つだけです。
基礎の教育、的確な訓練この両方をあなたが学んだ時にはじめて飼い主さんが思わず笑顔になる様なサービスが可能になります。

犬同士のコミュニケーション方法に学びより良い関係構築に生かす方法

⇒当然ですが犬は言葉を喋る事が出来ません。なのに多くの飼い主さんは言う事を聞かない犬に『ばかやろう』と言ったりします。
ですがこうした犬を擬人化した扱いをしていては、上手く犬とコミュニケーションはまったく取れないのです。
言葉を持たない代わりに犬同士は様々な体の動きで体表現をしてサインを出しコミュニケーションを取ります。こちらも体表現を出してコミュニケーションを取るのですが、その表現法をあなたも教材犬との毎日の訓練を通して体で理解し、的確なアドバイスを貰い体得する事が出来ます。

聴導犬育成の第一人者である日本訓練士養成学校の聴導犬育成の
為の唯一の技術を学ぶ

厚生労働省の認定試験に合格させ最も多くの聴導犬を社会参加させている第一人者のノウハウを学ぶことにより殺処分される運命の犬を引取り聴導犬として育成し犬を助け耳の不自由な人の生活も守る技術を身につけあなたは犬も人も救うことが出来ます。

日本訓練士養成学校ならではの人脈を生かしあらゆる就職先で活躍することが出来る。

⇒犬の業界を極めるためにそれぞれの生徒に合わせた教育を行います。
その進路のひとつに警察官として犬を訓練する直轄警察と、民間に業務委託をされる嘱託警察とがありますが、警察官になると5年毎に配置換えがあるために犬の仕事以外の部署にいく可能性が高いです。
ずっと警察犬訓練士として活躍するための嘱託警察として活躍する方法を教えています。
また、捜査活動を日頃から行っている為嘱託警察として犬との訓練士がどう活躍できるかの数多くのノウハウがあり、これを学習することで、警察犬訓練士として活躍する進路を選ぶことも可能です。

徹底した少数精鋭教育

日本訓練士養成学校では人材育成のプロでもある藤井が
生徒一人の状態を常に把握して育成ために
あえて生徒を少数で徹底したトレーニングを行います。

毎日、貸与された二頭の教材犬を育成しながら知識全般と訓練技術を直接プロからひとりひとりに時間をかけて個人的に教えてもらえる為に頭でも体でも理解が深まっていきます。

この為にどこへ行っても活躍できる生徒が続々と育つのです。

徹底した少数精鋭教育

今回の募集人数は15名です

ここまで読んでくださった方ならもうお気づきかもしれませんが今回の日本訓練士養成学校への入学は通常の学校の様に講師と生徒として決められたカリキュラムだけをこなす物ではありません。

犬の業界で訓練士として成功していくためのノウハウを生徒ひとりひとりに合わせた形で教えて導く犬の業界成功コンサルタントをやる様なものです。道は決して平たんではありませんが、最短かつ最速で導きます。

それも日本国内で圧倒的な実績を持つ凄腕の現役訓練士があなたについて当然のように成果が出るようにサポートするのです。

教えられることを理解し、マスターすれば結果が出ない理由がないです。

またはプロのスポーツ選手のコーチに似ているかもしれません。世界の舞台で活躍するアスリートには必ずと言っていい程腕利きのトレーナー、コーチがついて優秀な成果が出せる様に導いています。

そしてあなたにも優秀なコーチがついて、大きな舞台で華々しく活躍できるように導くのです。

しかし、この様な密度の濃い教育を行う為に沢山の応募をいただいても定員に達し次第募集は終了せざるを得ないのが現実です。



むやみに人数を増やしてしまうと優秀な生徒を育てられません。



その為、今期の募集人数は限定15名とさせて頂いています。

定員に達し次第募集は終了となりますので今すぐ申し込みフォームよりご連絡下さい。

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入学費用について

種目 金額 納入期日 備考
入学金 ¥500,000 合格通知日より 合格通知後直ちに納入するものとし定員に到達次第締め切る
授業科 ¥180,000
(1期分)
指定納入日 原則として1年分を4期に分納
(月額¥60,000年間720,000)
施設使用費 ¥250,000
(年間)
指定納入日 毎年度は閉めに納入
訓練用具費 ¥15,000
(約)
指定納入日 訓練用具費は個人用として開講日に渡す(引率・首輪・手入造具等)
参考書 ¥15,000
(約)
指定納入日 全犬種標準外数冊
制服代金 ¥20,000
(約)
指定納入日 制服の価額は変動がありますご承知ください。
プリント代 ¥3,000
(年間)
指定納入日 教材用プリント・コピー
冷服房費 指定納入日 冷服房使用期間時間に計算

今回見学申し込みされた方に今だけ特別プレゼント

今回見学申し込みされた方に今だけ特別プレゼント

今回、資料請求をして学校見学に来ていただいた方には先着20名様限定で私から特別なプレゼントがあります!

最後に

日本訓練士養成学校で学んでいただく事で誰にでも一流の訓練士として、ドックトレーナーとして生き生きと犬の業界で生きていく事が出来るチャンスを得られます。

人々の価値観が様々に変化しライススタイルが多様化し続ける事によって、犬達と人間との関係もどんどん複雑になっています。

しかし、犬の持って生まれた本質は不変です。

犬の本質を理解し、犬の訓練を知り、お客様との付き合い方を学び

どんな場所でも

どんな犬を相手にしても

素晴らしい活躍ができる訓練士になる事がここでなら可能です。

最高の知識と技術を身につけて、世の中の一匹でも多くの犬たちを幸せにする。その対価として、お客様に感謝されながら収入を得る。

あなたがそんな素敵な訓練士として成長するのを心待ちにしていますし、心を込めて指導させて頂きます。

そして、訓練士の技術を高める事によりあまりにも多くの殺処分される運命の犬達の命を救う事もできます。

多くの飼い主さん達が何の知識も無く可愛いというだけで犬を飼い始めますが、知識が無いという理由だけで結局は手に負えなくなり保健所へ連れて行ってしまったり無責任にも捨てられてしまう犬たちが多く存在します。

最後に

これが現在の犬の殺処分数です

全国 犬 殺処分の推移

山梨県の犬の殺処分の推移

平成23年度のデータではその年に犬が43606匹殺処分されなんと一日あたり120匹の子犬を含む犬達が殺処分されています。

毎日、毎日多くの犬達が処分されている状況を変える為に私は日々しつけのセミナーや飼い主さんへの教育をおこなっています。

全国各地へ飛び回り小さな村にまで赴く事もあります。

一例ではありますが山梨県では大きな成果が上がり犬の殺処分数を平成7年には年間8000頭以上だった殺処分数を山梨県の行政団体と協力して活動する事により平成13年には2000頭以下に収める事も出来ました。

正しい知識と技術に加え飼い主さんとの接し方をマスターする事により、こんなにも多くの殺処分を待つしかない犬達の運命を変えることが出来るのです。

殺処分についての動画がありますのでぜひご覧下さい。

そして、あなたにも犬達を救う事が必ず出来ます。

『私には出来ない』

と思っているなら、そんな事は忘れてください。

繰り返しになりますがどんな方にも出来ます。

日本訓練士養成学校の卒業生達も最初から上手に犬と付き合えた訳ではありません。

しかし、一生懸命2年間を過ごした彼らは見違えるように成長しました。

入学前の自分達からでは信じられないほどの自身を持ち見事な訓練を行い、犬と意思を自由に通わせることができるようになったのです。

訓練士の世界大会にまで出場している主婦の卒業生もいます。

想いが強ければ必ず頑張って上手くなれます。

さあ、一緒にがんばって行きましょう!

ありがとうございました。

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